家族
「家族」を語った325人の声(3/3ページ)。
体調がいいときは寝なくても動けちゃうくらい調子いいんですけれど、逆にダウンしたときは、本当にベッドから一歩も動けないみたいな。
ずっと人の気持ちを理解するのが苦手と思ってたんですけど、それよりはむしろ、理解はできてるけど、共感できてないだけなんだなって。
色んな行動を起こして、それによって自分がどう感じるのかっていうのをすごく観察するようにしてます。
小説を書くのが好きなのではなく、字を書くのが、タイピングをするのが本当は好きで。何もしないで無心にタイピングをする
みーさんとくろこちゃんが考えている話を、私、偏光が書いているだけって感じです。
闇が深いな思ったのと、あとはサポートの限界もあるなっていうのは、もう早々に感じてますね。
本当に日常の、自分の見えてるものをちょっと目線ずらしたとこにあるようなものとか撮ったりしてるんですけど。
自分の価値観に合わないことを受け入れられないんです、私。
ちょっと人生がどん底なのに、上向いてる感じなんですよ。
ひねくれてはいると思うんですけど、ただ自分が納得しないと、曲げたくない性格ってある気がしてて。
なんかもう、生きてるだけでお得だなって最近思えるようになって。
宅浪っていうことの大変さを、今、身に染みて感じてます。
この人が日々健やかに、笑顔で過ごすためにはどうしたらいいんだっけ
コップ割ったことを思い出して、悲しいって思うかは今の自分による。そこに昔の感情が付随されないっていうか、悲しいと思ったなっていう事実はある、みたいな感じ。
ネーティブの先生と違うのは、理屈がわかるっていうのと学んだステップをお伝えできるっていうとこですね
外に出ることに苦痛がなくなったのは大きいですね。それまでずっと1人で家でおったような感じだったんで、ほとんどの日がね。だから外に出て人と話すようになったのが…
やりたいことやらなかった後悔の方が嫌だなって思えるようになったきっかけですね。
好きなことやってたら、誰かに喜ばれて、それが価値になっていく
私のコピーはしなくていいって言っていて、ほんとに、自己対話、自分の体の声を感じて、聞き取って、それをかなえてあげる
無理してやりたくないことやらなくていいのかなって思ったりしてます。
「できません」って言えるようになってから人にも優しくなりました。
私は結婚式って「自分に向けられた思いに気付ける場」だと思っていて。
真面目すぎる性格があったから、全てを吸収して抱え込んじゃうみたいな癖があって。
まずは自分を満たすっていうことを一番に考えるのでストレスがない。
なんかちょうちょみたいに、「このお花きれい」みたいにふらふらしていって。生きてるだけに見えて、ちょうちょだって蜜を運んだとかりちゃんと仕事になってるし。別に…
自分の家庭環境っておかしかったんやって認めてから、自分の人生を生きれてる感じがしてます。
最近、今年の5月にnoteを始めまして。もうすごい楽しくて。暇さえあれば文章を書いてたいっていうぐらい、すごく文章を書くのにハマってますね。
普通にお金があって困らないってすごいですよね。とりあえず、あとは少し余ったお金で旅行に行けて、好きな人とご飯に行けて、なんかもうそれだけで多分幸せです。
自分のために生きなきゃみたいな思いが強くなった。
数百万円かけて整形してるんですけど、全然変わらなくて。
今は、結局好きなことしかチョイスしてないので、何をやってても楽しいですね。
自分だけじゃない誰かのために、何かを費やすっていうことを繰り返していくことも、やっぱり自分の成長にも繋がっていったなと。
匿名で何も喋らずに、ただ同じ人たちがいる中に参加ができるっていうのも、一つの強みなのかなとは思いました。
もしかしたら、孤独感があったから20年続いたのかもしれないですね。
やはり納得がいくかいかないかって大事だと思ってます。
何て言うんでしょうね、薄い人生というか、あんまり評価されない。生き方を評価されるっていう感じがして、ちょっとしんどいですよね。
文章だから好きっていうよりは、それを書くことによって自分が癒されたりとか、周りの人が喜んでくれるから好きなんだなっていうふうに思って。
私、競争がすごい苦手で。だったら、オンリーワンの方で比べずにいたいな、みたいなコンセプトじゃないですけど、そういうのがあって。なので、そういう独創性がある人…
今は、普通に。やっぱり生きてないとな、みたいな気持ちはありますね。
自分と考えが違えば違うほど面白い
自分の人生は本当に1回しかないので、誰に遠慮することもなく、ちゃんと自分の人生を生きるっていう考えは、すごく大事だなって思います。
それを考えちゃうと、たぶん、また自分にできないことにばかり目が行っちゃうと思うので。
無駄な努力、無駄な頑張りはせずに、自分のしたくないこともすることなく、本当に今やりたいことを淡々とやっていくというのが、私の中では「楽な」という意味ですね。
人は人、自分は自分。歳を取って、その傾向はより強くなってきましたね。
人生が深くなったっていう感じですかね。
友達に言えないようなことを、いっぱいお話してくれて。その感覚が、すごくうれしくて楽しくて。こういうことがしたかった、みたいな気持ちになりました。
こういうふうに穏やかに安心して過ごすっていうことを、私はやってみたいなと思って、今、やっとそれをできるようになったんです。
ゲームをもっとやってほしいし、やるなら現実逃避とかじゃなくて、現実のためにやってほしい。
今、内情が全部見える、母の弱いところが全部見えるのが私だけになってるんで、その立場を抜けてしまうことに罪悪感みたいな気持ちがあるかな。
わたしは多分今が一番しあわせなはず。自分の意志でやっと表現できるから、ネット社会にも感謝しています。
求められたことをお返しする、というスタンスだったので、正直やりたいこととか考えなくても生きてこれたんですよね。
日常を平和に過ごせるってだけで、その1日だけでもどんなに幸せなことなのかっていうのを噛みしめてます。
「出会えて良かった」と言っていただいたときが本当に至福ですね。
自分で努力して手に入れた、宝くじで当たったような体ではないので、それまでの過程が、自信に繋がってるっていう感じかな。
私は16年結婚生活を送って一度離婚していますし、だから再婚には勝算しか残ってないんですね。
今は日本茶って、余韻だなって思うんです。
ステップファミリーを支援する団体SAJの代表をしております。
私ね、わりと引き寄せができる人なの。
自分と他人は違うって分けてから、すごく気が楽になって。楽しくやってます。
30なかば、ようやく自己表現を全力で出してもいいタイミングになってきたっていう。
昔は誰かを笑顔にしたいとか思ったけど、今は自分が笑顔じゃなかったら人を笑顔になんかできないよねって思ってるかな。
人の体の科学的なすごさを知っていくっていうのが、ものすごく面白いです。この自分の体なのに、まだまだ知らないことがたくさんある、本当に解明されてないことがたく…
パッションを持ってる人のお手伝いをするっていう方が性に合ってますね。
どんな輪の中にいても、自分が勝手に中心に行っちゃうんですよね。わかります?
私自身が子どもと離れて暮らしていた親でもあり、さらに今、共同養育をしているので、そういった当事者の気持ちへの寄り添いができるかなって、ちょっと自信があります…
私のアイデンティティは、人の魂の音を奏でて、その人自身に言い聞かせてあげるっていうことなんです。だから、ミッションは魂の音を震わせること。
このインタビューが決まる直前に「お母さんは毒親、私の毒親だよ」って言われたんだよね。
昔の自分の基準でいうと、今、すごく不幸せなはずなんですけど、でも精神的には今が一番幸せです。
怒鳴らない人にしてみれば、なんだって日数なんでしょうけど。禁酒とか禁煙とかと同じで、怒鳴りまくってた人間としては奇跡のような日々なんですよ。
お母さんがストレスたまらない方法というのが、一番合ってる方法なんですよって。
今まで、どれだけ時間と心にゆとりのない生活をしていたんだと気づいちゃったんですよね。
次また考えればいいかなとか、嫌だったらもう逃げてもいいじゃないかって。良い意味で、自分を許せるようになりました。
じゃあこの現実ってのは明晰夢と変わらないんですよ、僕にとって。
子どもたちは学校以外の環境は気に入ってるみたいです。
とにかくこの子を支え抜くと。最後まで諦めずに支える、どんなことをしてでも、この子を支え抜くって覚悟を決めたんです。
エニアグラムを知って、ちょっとだらしがない自分もOK、まあいっかなみたいに思えたりとか。
この数ヶ月でめちゃくちゃ変わりました。だから生きてて辛くないんですよね、楽しい。
私、インタビュー受けたの、やっぱり話を聞いてもらいたかったのかな。
私、よく落ち込んでるんですよね。いつも悩んでるんですよ。
私は多分、自己開示が下手なんですね。noteも匿名だし、書いている内容も友達には話さない内容です。
私も家族持ちになりましたもんで、第二の名刺を持っとかないと、万が一のことがあった場合に、何もできませんじゃ怖いですから。
今まで毛嫌いしていたメンヘラの言葉が、純文学のように、綺麗に僕の胸に刺さったんですね。
僕は「誰かに楽しんでもらいたい」というのがあるんで、それがないと動けないって感じですね。
ちょっとでも、こんな人もいるんだよ、てことを伝えれたらいいなみたいな、そんな感じでした。
初めは、不安なんですよ。物がいっぱいあったところから、物がなくなっていくっていうのは、すごい不安なんです。失うのが怖いんですね。
