
適応障害になった24歳が、離島・海士町で見つけた"自分の生き方" |無名人インタビュー
なので、無職ではありつつも、今はその二つの目標に向かって結構全力で走っている生活を送っています。
現在
東京の実家に戻り、大学院(国際地域学専攻)の入試準備をしながら、市民参加型ミュージカル「A COMMON BEAT」の練習に取り組む日々を送る。無職ではあるが二つの目標に全力で向き合い、完璧主義や周囲に適応しすぎる自分の癖と向き合いながら、自身を魂の課題に取り組む存在として捉えている。
過去
3歳直前まで父の仕事でアメリカ・サンフランシスコ近郊に住み、自由な感覚を原点として持つ。帰国後は日本の集団に適応しようと自分を抑え込み、条件付きの愛の感覚を強めながら「陽キャ」を演じ続けた。大学卒業後は就職せず離島・海士町で1年間働いたが、周囲に適応し続けた結果、去年12月に適応障害となり2ヶ月間休養した。
何かをしていないとわたしは愛されないという、条件付きの愛の考え方が強かったことにあります。
未来
大学院に合格すれば海士町に戻って研究を続け、将来的にはブータンなど幸福を重視する地域とも行き来しながら、人々がより幸福に生きる方法を探求したいと考えている。50年後には共感と助け合いで暮らすコミュニティで福祉的な役割を担い、周りへの恩返しをしていたいと語る。
共感とか共鳴によって集まってくる大事な人々、皆さんと一緒に、皆さんが少しでもより幸せな人生を、人間としてよりよく生きるために、わたしが遣わされてるような気持ちでいます。
公開
聞き手:こーすけ

