
緊縛師写真を撮る人
私が撮りたいのは、あくまでもお仕事をお願いする緊縛師の女性であって。
現在
夜の街並みと、自分が縛ってもらっている女流緊縛師(とその弟弟子)の姿をライフワークで撮影。グループ展ではお題に沿って撮る。撮影基準はただひとつ「自分が美しいと思うか」。「緊縛写真ではなく、仕事をしている人の写真」というスタンスで、責め手と受け手の主客逆転や格闘技にも似たダイナミズム、密な感情のやりとりを写し取る。お客さんとして縛ってもらいながら撮影者でもあるという二重の関係に身を置き、自分でも縛る側の勉強を始めている。
過去
幼少期から、山の稜線ではなくビルの稜線、誰もが通り過ぎる片隅にある何かに目をとめる感受性を持っていた。「これは素晴らしい、もっと発展させたら世の中の人が喜ぶ」と感じる対象との出会いを子どもの頃から重ねてきた。写真を本格化させてから、自分の手でその「美しいもの」を残したいと動き始める。カメラがなかったら楽器を弾き続けていたと語る。4年前から緊縛を受ける側として通い、特定の女流緊縛師2人を被写体に選ぶ関係を築いてきた。
これは素晴らしいとか、これをもっと発展させたら世の中の人が喜ぶんじゃないかとかっていうのは、小さいときからありました。
未来
他の人には出せないが、世に出れば「とっても美しいよね」と言われるものを写真に限らず残して死にたい。世の中にまだ現れていない、人の目に触れていない美しいものを残し続けることが未来像。これから先、自分が選択したことは自分で責任を取る。予想もしない出来事が次々起こるので、具体的に「こうなったら」とは考えない。仕事に没頭して自分を見せようとしていない人の仕草や、人間の中心から外れた場所にある美を、引き続き撮り続けていく。
他の人は出さないような、でも出てくると「とっても美しいよね」っていうものを残して死にたいなと思ってますね。
公開
聞き手:qbc

