「発達障害だった自分を知るためにはこういう時間が必要だった」と思う発達障害の子どもをみる作業療法士の人
ただの感覚の話が社会性に影響を及ぼしてるというか、コミュニケーション自体も結局経験なので、そこの感覚だけ全然経験が積み重ならなかったんだね、みたいな話が出てくるんです。
いま
発達障害の子どもを対象に感覚統合療法を行う事業所の立ち上げメンバーとして4年目。児童発達支援・放課後等デイサービス・保育所等訪問支援の3事業を運営。言葉(認知)ではなく遊びを通じて感覚レベルからアプローチし、子どもが「気づいたらやっていた」状態を作る手法を実践。大学講師や寄稿も手がけ、40歳を機に自身の価値観を掘り下げ、自分のADHD傾向への理解を深めている。
これまで
子ども時代はADHDの傾向が強く、朝礼の音のズレに地団駄を踏んだり花瓶を割って歩くなど衝動的だった。友達との遊び方がわからず、わがままで自分勝手な子どもだったと振り返る。高校卒業後は飲食店で働き、26歳で「大学生になってみたい」と思い立ち入学。革命派の残る寮に8年住みながら貯金とバイトで学費を賄い、作業療法を学んだ。恩師との出会いが発達障害の子ども支援の道へ導いた。
自分勝手、自分が良ければ何でもいいみたいな。だから、今来ている子どもを見ていて、すごい親から理解されないなっていう子が、すごいわかるなって。味方になりたいなって思います。
これから
同期の独立に触発され自身も独立を検討中だが、自由度と責任・収入のバランスで決めかねている。感覚統合の知見を子ども支援以外の領域にも応用できる可能性に気づき始めた。大学講師や執筆活動の幅を広げつつ、自分のスキルが場所を変えてもシェアできることへの手応えを感じている。
たぶん、自分を知るためにはこういう時間が必要だったかなっていう気がする。