無名人時計
【海士町】ラインがわからないぐらい仕事が楽しければ、それはもはや暮らしなのではないか。人

【海士町】ラインがわからないぐらい仕事が楽しければ、それはもはや暮らしなのではないか。人

白水ゆみこ 30代・女・事務 2024年
生活と仕事がパキッて分かれてないぐらいの働き方をしてたいなといつも考えてます。

現在

38歳、海士町に移住して間もなく3年。株式会社海士の経営企画室で総務・人事労務・財務を含む運営サポートを担当。entô(隠岐ジオパークの宿泊拠点)、レストラン船渡来流亭、島じゃ常識商店の運営に伴走し、entô公式hpでコラムも執筆。7月のentô開業3周年では祝い餅配り、遠投イベントなど1週間のお祭りを楽しんだ。シェアハウス住まいで、玄関を本棚で埋め尽くすほどの本好き(特にエッセイ)。先週から島内の三味線教室に通い始めた。猫と6回引っ越しを共にしている。

過去

福岡県(高倉健の出身地周辺)で生まれ育つ。中学では吹奏楽部でフルートからオーボエに直談判で変更。高校はデザイン系(女子校と男子校が合併した1期生の女子だけのクラス)で破天荒に過ごし、ピアスを開けたり夜中の花火など若干グレーゾーンで遊ぶ青春を送った。在学中に大学に受かったが入学金を支払えず(バイト4掛けでも届かず)、駅前ホテルの厨房裏で皿洗いしながら泣いて諦めた。その後20代は10社以上を渡り歩き、年収を上げ続けることに執着、不動産売買営業まで進んだ。30歳前後に病気で2年間働けなくなり、リハビリ中に「好きなことを好きな場所で」と決めて熊本県の黒川温泉旅館の仲居に転職した。

駅前ホテルの厨房裏で皿洗いしながら泣いてた自分が、やっぱりずっと頭の片隅にいたんです。

未来

10年スパンで考えると、海士町と黒川温泉の二拠点生活を実現したい。仕事と生活のラインがわからないぐらい仕事が楽しい状態(「それはもはや暮らしなのではないか」)を続けたい。熊本に戻ったら自分の宿を立ち上げたく、自分だけのものではなく誰かの拠点にもなる、島の外の人も島民も一緒に居られる場作りに近い宿を作りたい。今はできることを増やすための「修行期間」と位置づけて活動している。

自分の宿を立ち上げたいなとずっと思ってます。
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公開

聞き手:ナカザワ

栗林康弘

このインタビューの監修

栗林康弘(qbc)

無名人インタビュー主宰/聞く学校 校長

2020年に無名人インタビューを始めました。自分で872人の話を聞き、423本を編集。いまは16人の制作メンバーとともに年間約400件のインタビューを行い、これまでにのべ132名が聞き手・編集として参加しています。公開した実例は1,500件以上。聞き方の体系として「平聴(フラットリスニング)」を提唱し、2026年に「聞く学校」を開きました。1978年生まれ。(2026年8月21日現在)

栗林康弘のプロフィール →