
【海士町】作品を発表し続けることによって人と繋がっていきたい人
30代のときは後鳥羽さんを有名にしたいと思って歌を詠み始めたんですよ。
現在
後鳥羽院資料館の館内案内と「隠岐後鳥羽院大賞」のサポートが主な仕事。家庭ではシングルマザーとして高校生と中学生の3人暮らし。趣味も短歌で、宮中歌会始の佳作を獲得した経験あり。歌集出版を目指して連作を読み溜め中。海士町の景色(春の霞、渡り鳥、軒先の水滴)から千年以上前の和歌の世界とのつながりを感じ取りインスピレーションを得る。最近は短歌のレクチャー業務でchatgptを活用する参加者と「画期的」と感じた。
過去
海士町菱浦地区の生まれ、島前高校卒業後奈良県の大学(文学部国文学科)で和歌のゼミに4年間。卒業後すぐuターン、海士町キンニャモニャセンターのオープニング臨時職員を1年半務め、その後後鳥羽院資料館アルバイトを経て社員に。結婚していた10年は向かいの西ノ島町に住んだ。30代に家庭内がうまくいかず辛い時期、snsに小説を発表していたがスランプとなり、三十一音の歌で救われた。
そのつらさとかをそのままの言葉で表現しないで、うまく言い換える形で、表現する方法ってないかなと思ったときにそれが和歌だったり短歌だったりして。
未来
作品を発表し続けることで人と繋がっていきたい。連作20-30首で大きな賞をいただいて歌集を出してもらいたい、町長表敬訪問やキンニャモニャセンターの横断幕にも憧れる。地元の文系の人にも希望を与えたい。表現者として上達するだけでなく、教え方を上手になりたい。短歌ブームで初心者の自己肯定感をちょっと持ち直してあげたい。後鳥羽院から元気をもらえた恩返しをしたい。
作品を発表し続けることによって人と繋がっていきたいかもしれないですね。

