無名人時計主宰の書斎
COLUMN

物語に気づいた人が、次にすること。『ストーリーが世界を滅ぼす』の先

物語に操られるのが怖い、と感じたことはないでしょうか。SNSで意見の対立を見るたびに、自分もどこかの物語に乗せられているだけかもしれない、と疑いたくなる。その感覚を裏づける本を読みました。物語は娯楽ではなく、人の脳に働きかける影響力の技術だ、と説く本です。書いてあることは、ほとんどその通りだと思いました。同時に、読み終えただけでは足りない、という感覚も残りました。

物語に気づくところまでは、もう済ませている人が大勢います。次にすることがあります。作る側に回ることです。

物語は、配役表を配る

ジョナサン・ゴットシャルという研究者が書いた『ストーリーが世界を滅ぼす』という本があります。中身を私なりにまとめると、物語は扱う題材が何であれ、必ず誰かに役を割り振る形式だ、という指摘です。

主人公がいて、行く手を阻む何かがある。その形を取った瞬間、誰が困っていて誰のせいなのかを、物語そのものが決めてしまいます。被害者、加害者、英雄。この型は事実を曲げなくても働き、同じ出来事でも配役を入れ替えるだけで、正反対のドラマができあがります。

つまり、対立している人たちが見ているのは、違う事実ではなく、同じ事実に当てられた違う役柄です。SNSを一日眺めれば、この配役の掛け替えを何度でも見つけられます。

この本には、空席がある

ただ、この本には物足りないところがあります。

読んでいるあいだ、読者はずっと受け手です。物語がやってきて、引き込まれて、配役を割り振られて、動かされる。作り手はいつも権力者やメディアという別の階層にいて、向こうが作り、こちらが受け取る、という構図で描かれます。著者は語り手を憎めとは言っておらず、物語が社会を築く力も認めていますが、私の読みでは、読者自身が物語を作る技術を手渡される場面は、最後まで出てきません。

けれど、私が話を聞いてきた範囲では、自分はいま誰かの物語に動かされているかもしれない、と気づくところは、多くの人がもう通り過ぎています。目の前の話は、没入する対象である前に、伸ばすために組み立てられた構造物だと知っている世代だからです。いま人を疲れさせているのは、物語に騙されやすいことより、どんな物語も本気にできないことかもしれません。他人の物語は一秒で分解できても、自分の物語は組み立てられない。その空いている場所を埋めることが、私の仕事です。

物語は、身に着けるもの

私の立場はこうです。物語(ナラティブ)は取り憑かれるものではなく、身に着けるもの、衣服です。

衣服なので脱ぐことができます。脱げないなら、それは物語というより信条や思想に近いものです。何枚も持てます。これまでの自分を失敗の物語として着ることも、途中経過の物語として着ることもでき、どちらも嘘にはなりません。仕立て直しもできます。起きたことそのものは変えられなくても、そこに何を置くかは選び直せるからです。

先の本は、自分を英雄だと信じ込む人間がいちばん危ない、と警告します。その警告が捕まえているのは、与えられた筋書きを現実だと思い込む人、いわば登場人物としての主人公です。私が勧めたいのは、筋を書く側に立つ作者としての主人公です。自分で衣を仕立てたことのある人には既製品の縫い目が見え、話を都合よくまとめようとしている瞬間や、敵役を仕立てようとしている瞬間に気づけます。それが見えているあいだ、人は自分の物語に丸ごと落ちません。

一人では、始められない

ただし、物語は一人では立ち上がりません。

一人で組み立てた物語は、精度は上がっても向きは変わらないものです。頭の中の聞き手は想定した範囲の外に出てこないからです。実在する誰かだけが、用意していなかった角度から想定外の問いを投げてきて、そこで物語の向きが変わります。

心理学者ヴィゴツキーは、人の高次の機能はまず人と人のあいだに現れ、そのあとで内側に折り畳まれる、と考えました。子どもの発達についての話ですが、大人が新しい語りを立ち上げるときにも同じ順番が働いていると感じます。

私のコーチングは、この実在する二人目を用意する形にしています。二人部族と呼んでいます。二人だけで、生まれたばかりの物語を守る小さな部族になるということです。言葉になったばかりの物語は外気に弱く、誰か一人に疑われただけで壊れます。私は、その語りに最初に立ち会う一人になります。

線は一本だけ引いています。私が支えるのは語り手の語り方であって、語られた相手を一緒に断定することではありません。そして、この場所は出るためにあります。二人でしか成立しない物語のままなら、それは依存です。二人で始めて、一人で持ち歩けるようになったら、そこで役目は終わりです。

参考図書

ジョナサン・ゴットシャル『ストーリーが世界を滅ぼす 物語があなたの脳を操作する』月谷真紀訳、東洋経済新報社、2022年(原著 The Story Paradox, 2021)。本文中の要約は、私が読んで理解した内容によるものです。

まとめ

疑うことの先に、作る側に回る、という次があります。

物語は取り憑かれるものではなく、身に着けるものです。脱げて、仕立て直せて、複数持てます。ただし一人で仕立てた物語は向きが変わりません。想定していなかった問いを向けてくる誰かがいて、初めて物語は動き出します。配役表を配られる側で終わるか、自分で配役表を書く側に回るか。その分かれ目に、実在する二人目がいるかどうかがあります。

この話の長い版(エッセイ)はnoteにあります:https://note.com/unknowninterview/n/ne8e6892cca6f


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公開

栗林康弘

このコラムを書いた人

栗林康弘(qbc)

無名人インタビュー主宰/聞く学校 校長/パーソナルコーチ

2020年に無名人インタビューを始めました。自分で872本のインタビューを聞き、423本を編集。いまは自分を含む16人の制作メンバーで年間約400本のインタビューを行い、これまでにのべ132名が聞き手・編集として参加しています。公開した実例は1,500本以上。聞き方の体系として「平聴(フラットリスニング)」を提唱し、2026年に「聞く学校」を開きました。1978年生まれ。(「聞いた」「編集した」は2026年6月30日、チームの本数は2026年8月1日時点)

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