
【海士町】海士町の介護を刺激したい人
相手は年上であるということ、この日本を築いてくれた人であるということ、お客さんであるということ。
現在
茅ヶ崎で犬中心の生活を送ってきたが、亡くなった英語の先生に唯一語っていた「離島で介護がしたい」夢が、先生死後数日後にfacebook/instagramで海士町介護募集が偶然流れてきて応募決断。獣医のいない不安を超えて、犬と妻と共に移住。社会福祉協議会勤務で約4ヶ月。本島で叩き込まれた「お客様」意識(呼び方は様付け)と海士町の「ゆいおばあちゃん」的近さの良さと悪さの葛藤を抱える。「相手は年上」「日本を築いた人」「お客さん」の3点を信念とし、「ありがとう」を言う機会を積極的に作る。
過去
長野県出身、次男坊で泣き虫だがガキ大将。小2から兄の影響で水泳、小学校時代スポーツ万能でモテ期、児童会長・図書委員長。小1で脱腸の手術と入院を体験、リレー選手なのに運動会に出れない悔しさが医療・福祉志向の原点。野球の名門高校に入り3年間野球漬けで甲子園3回出場。高校最後の年、親戚の障害児旅行で「何もできなかったのに『ありがとう』」と言われた悔しさで福祉専門学校へ。25歳で父の病気で長野に帰省、1年陶芸・土方も経験。30歳で施設の介護長になり面白さを失い35歳でオーストラリア・メルボルンに夫婦留学。1年半で英語を学び直す。両親が認知症で他界、家族として施設・病院を利用した経験が「家族の気持ち」の宿題に。
何もできなかったのにありがとうって言われたことがすごく悔しかった。
未来
海士町約2300人全員が介護の知識・技術を持っている島にしたい。それによって「わがとこで看る」「わがとこで死ぬ」が当たり前になるよう、本島で30年積んだ経験を活かして海士町の介護を「再考」したい。1年後も今の立場のままならつまらなく感じる可能性があり、必要とされるところに移っている可能性も。葬式に予想を超える人が集まるような「渡邊広樹と出会えて良かった」と思われる人生を目指す。「あなたが殺めようとしている人にも大切な人がいる」というメッセージで世界の戦争のない未来を願う。
約2300人、海士町の住民がいらっしゃると思うんですけど、2300の人が全員介護の資格を持っている島にしたいって思いを僕は語ったんですよ、役場の人に。

